世の中には、素晴らしい小説が数えきれないほど存在しています。中には、全世界的なベストセラーとなり、国や人種を跨いで読まれるもの、時代を超えて読み継がれるものもあります。当然ですが、ベストセラー作家もデビューするまでは、「小説家志望者」として小説を書き続けてきました。Life is Novelの執筆陣は、全員が小説家志望者です。そのような形をとったのはなぜか。
小説家の持つ能力・技術
小説家は、日常の体験の中に世間がまだ見ぬ何かを発見し、それに抑揚をつけたり、想像や妄想で脚色をしながら、最終的に一つの物語を完成させます。それが読者に読まれ、様々な感情体験をもたらし、賛否両論を経て初めて一つの小説作品となるのです。当然ですが、小説は活字で行われるため、※文体・人称・メタファー等々の専門的な能力・技術を要します。私たちはこのことに着目しました。具体的な解説はここでは避けますが、詰まる所、小説を書くということはただ上手い文章で物語を綴れるだけでなく、かなり専門的で高度な技術が必要だということです。※文体や人称については後日別記事で解説します
新人賞という狭き門
まず、プロの小説家になろうと思うと、多くの場合、公募の新人賞に作品を 応募し、賞を受賞するという道のりが一般的です。一概に新人賞といっても、ジャンルによって様々に区分けされた賞が開催されています。例えば純文学というジャンルに限ると、五大新人賞(文學界、群像、文藝、新潮、すばる)と呼ばれるコンペが毎年開かれ、各賞には1000〜2000作の作品が集まります。その中から最終的にデビューできるのは、1〜2名といった狭き門です。※一次選考突破時点で1000〜2000作品の中から40作品ほどまで絞られる場合が多い
そのような狭き門を目指す小説家志望者は普段、小説には直接的に関係のない職に就き生計を立てます。食べていく手段が、自身の目指すことに直結していればいいのですが、なかなかそのような仕事が見つからないのが現状です。仕事の合間を縫っては本を読み、思考を整理し、物語を綴る。それでもデビューできなければ報われない。小説家を目指すというのは、このような苦労を乗り越えなければならないのです。
苦労の中で身につけたものが、社会の中で活かせるのであれば特に問題にはなりません。しかし、長い年月をかけて小説を書く技術・能力を積み上げた結果、最終選考まで残ろうともデビューできなければ、変な話1円にもなりません。小説を書く能力・技術は専門的であるが故、基本的には実社会で活かすことが難しいのです。
これは、小説に限ったことでなく、スポーツや研究者、様々な専門性を必要とする分野に身を捧げてきた人たちのセカンドキャリア問題と似ています。その中で、なぜ小説家という存在に目を向けたのかは、単純ですが、私たちは、小説を愛し、小説家を尊敬する一小説愛好家だからです。好きであるからこそ切実、真摯にこの問題について考えました。
能力があってもデビューできなければ報われない
デビューした人は凄い。デビューできなかった人はそれだけの能力だ。当然このような境界線の引き方があることも承知です。しかし、私たちLife is Novelはもっとグラデーションで物事を見たいと思っています。デビューできていない人にも、素晴らしい能力・技術の蓄積がある。プロ寸前で挫折した野球選手は、野球が上手くないのか。そうではありません。
上の境界線の引き方は”小説家”という”職業”として捉えれば何の異論もありません。小説家として、デビューできなかった人は、“職業作家”としての能力が足りていない。現時点ではという注釈を付け加えますが。
しかし、彼らには間違いなく小説を書くという貴重な能力・技術が蓄積しています。どうにかそれを活かすことができないか。それがLife is Novel立ち上げのきっかけです。
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