「大したことのない」人生はない
ある日、一見地味そうにみえる青年と偶然席を共にして何気なく会話をしたとき。学生時代に海外を渡り歩いていたこと、今は家がなく日本を転々としていることなど、聞けば聞くほど興味のわく人生を歩んでいたことが判明しました。
またある時、数年ぶりに会った友人と話していると、彼女は新卒で入社することが決まっていた大手企業を蹴って、昔から憧れのあった舞台女優になる道を選び上京したと言うのでした。
私にとってみると、それは“普通ではない”人生でした。しかし、彼らは決まってこう言うのです。「いや、大したことじゃないよ」。それは謙虚の姿勢でも、自慢の類のものでもなく、本当に心からそう思って口に出しているのだと、相手の目を見てわかりました。
このように、自分では“普通”の人生を送っているつもりでも、ある人からすると“普通ではない”出来事ばかり体験していることがあります。それは“普通”なんていうものの概念が定まっていないこの時代では、当たり前のことなのかもしれません。
別の視点から気づく平凡な毎日の中にある美しさ
それでも自分の人生は平凡なものだ、と考える方が多くいらっしゃることでしょう。しかし、平凡だと思う出来事の中にも、他人から見れば心を打たれるような素敵なシーンが必ず隠れているものです。
作家や芸能人が書くエッセイの中には、実際の日常の何気ないワンシーンを切り取り、自分の視点を盛り込んで読者に届けている作品があります。そこで大事なのは、どんな場面を切り取っているのか。何気ないように見えても、クスッと笑ってしまうような可笑しな場面や、情緒を感じさせる美しい場面など。そこでは、今まで気づかなかった面白さや美しさに気付ける視点が重要となってきます。
小説にすることで素晴らしい人生が見えてくる
まず大前提として、どんな人にも他人の興味をそそる輝かしいシーンや、何気ないと思っていても心を動かされるようなシーンがあります。それに対して本人は無自覚で、大したことではないと思っていることも多いのです。しかし、他人からすると、珍しく、貴重で、素晴らしい体験であり、もっと詳しく聞いてみたい、と言う人もいるでしょう。
では、どうすればそのような名場面を見つけ出し、形にして伝えることができるのか。その行き着いた答えが小説でした。
小説家は、日々の出来事を膨らませて物語を綴ります。何気ないと思っている出来事に文学性を見出す感覚に秀でているのです。「1.小説家志望者という存在」でも紹介したように、新人賞の予選を通過した執筆陣にももちろん、その能力が十分に備わっています。小説家志望者たちの視点で、素晴らしいシーンを切り取り、さらに情景や心情の描写を付け加えて一つの小説にする。それを読んだうえで改めて振り返ってみると、今まで大したものではないと思っていた人生が、一気に素晴らしいものに感じられると思うのです。
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